魚類を気遣う

魚類を気遣う

私が魚類に向けてきた眼差しとサイやチーターといった稀少動物に向けてきた眼差しとは、著しい対照をなしていたことを、私は認める。

魚類は「一般の環境保護主義者をやたら感傷的にする毛皮も、感情に訴えかけてくる眼も、その他の特性も持ち合わせていない」(注1)と思いなしていたからかもしれないし、何よりも、私が彼らを食糧(モノ)と見なすだけであったからかもしれない。

が、人の考えは一定不変ではない。私はすでに次のような断章を書いた。

「まぁ、何て生きがいい」(水槽からまな板に移され、跳ね回るアジに)

「まぁ、何て生きがいい」(頭部をビニル袋ですっぽり覆われ、全身でもがき呻く牛に)

果たして私の考えはどこまで変わってゆくのか。

魚が苦痛を感じることを認めようとしている私はついには「苦痛を感じる全ての存在は人権を付与されるに値する」(注2)という段階にまで足を踏み入れることになるのか。 

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(注1)
「魚類を気遣うことを始める必要がある。ある種の動物相をめぐり一般の環境保護主義者をやたら感傷的にする毛皮も、感情に訴えかけてくる眼も、その他の特性も魚類は持ち合わせていないとあっては容易なことではないのだが。」 [We need to start caring about fish, not easy when they lack fur, soulful eyes and other attributes that make amateur greens go gooey about selected fauna.] (We need to start caring about fish, or there won’t be any left to eat by Max Hastings, Guardian Unlimited, Monday October 31, 2005)

 
(注2)
All beings that feel pain deserve human rights(by Richard Ryder, Guardian Unlimited, Saturday August 6, 2005) 

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