投票 常に究極の選択

投票 常に究極の選択

私の居住する選挙区では、どうにも投票意欲をそそらぬ候補者二人のうちから否が応でも一人を選ばねばならない。絶望しても詮方なさそうな政治の現状にはあきれているが、国政選挙では棄権しないことにしている。世界を見回せば、政治とはおよそこの程度のものでしかありえまいと観念せざるを得ないのである。

自民党の候補者は政治献金をくれる(くれそうな)連中しか眼中にない(と思える)昔ながらの政治屋、野党の候補者(野党第一党から選ぶことにしている)といえば、いかなる考えを持って政治に臨もうとしているのかさっぱり分からぬ(前回の総選挙の際、HPを覗いてみたが、記憶に残るほどのことは掲載されていなかった)見た目も悪い陣笠現職――どちらかを選ばねばならない。

選択の現場で有権者が迫られるのはしばしば(殆ど常に)究極の選択である。こっちもだめだしあっちもだめ、それでも、どちらかを選択せねばならない。政権選択は時に重要な選択基準となるのだが、常に政権選択などという大仰な基準を元に投票するわけではない。

日共の候補者を無視してないかって?

そんなことはない。日共が国会で定数の5%ほど(ずいぶんと日共を高く評価した数字だ。衆議院では24議席ほどということになるのだから)の議席を占めることには意義があると思っている。

わかっちゃったかな?

《日共》と口走るこの私、何を隠そう《トロッキスト》だ(この無駄口、誰彼無しに通じるものではないこと、百も承知)。  

(了) 

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